オーナー紹介

三土手大介(みどてだいすけ)

  • No Limits代表・レッシュマスター級トレーナー
  • 一般社団法人レッシュ・プロジェクト理事
  • 1972年8月26日生まれ 神奈川県横浜市出身
  • 120kg超級  4スタンスタイプ「A2」

ノーリミッツオフィシャルブログ

三土手大介が打ち破ってきた限界の数々

  • スクワットで日本人初の400Kgオーバー
  • ベンチプレス日本人初の300Kgオーバー
  • トータル日本人初の1トンオーバー
  • 4つの世界タイトル獲得(世界パワーリフティング・世界ベンチプレス・ワールドゲームズ・アーノルドスポーツフェスティバルPRO BENCH)
  • 全日本パワーリフティング選手権 優勝20回
  • 全日本ベンチプレス選手権 優勝18回

ベスト記録

  • スクワット435kg
  • ベンチプレス360kg
  • デッドリフト320kg
  • トータル1060kg
  • ベンチプレス125kg級世界記録322.5kg
  • ベンチプレス125kg超級世界記録360kg
  • (IPF旧階級絶対重量世界最高記録)
  • スクワット、ベンチプレス、トータル
  • 125kg級、125kg級日本記録保持者

HISTORY

 

パワーリフティングという競技を知ったのは高校3年のとき。全日本高校パワーリフティング選手権というものがあることを知り、力試しで出場するも負けてしまったことからこの競技にのめり込んでいく。

その後、専門ジムに通い、本格的にパワーリフティングを始める。ここで頭角を現した三土手は1993年、仙台市で行われた全日本選手権110kg級で初優勝を飾る。弱冠20歳の史上最年少優勝だった。(この記録は未だに破られていない)

それからは次々と日本最高記録を塗り替え、もはや絶対重量でかなう選手は日本には誰一人としていなくなってしまった。三土手が次に世界の頂点に標準を絞ったのはごく当然のことだった。世界大会にも積極的に参戦していった。

1996年の世界選手権では当時の世界チャンピオン、カ-ク・カルウォスキー(USA)に次いで2位という快挙を成し遂げる。いよいよ世界獲りに本格的に乗り出すこととなるのだが、このころから三土手の体に異変が目立つようになる。それは怪我だった。

常のパワーリフターをはるかに凌ぐ重量を上げる三土手にとってそれは宿命というべきものだった。肩、肘、腰の痛みは日常茶飯事だった。椎間板ヘルニアには特に苦しめられた。MRI検査の結果、5個ある腰椎の椎間板が1個を残して全て潰れていた。結局97年、98年の世界選手権は欠場した。怪我を直すことを第一に考え、試行錯誤しながらオリジナルのサイクルトレーニングも確立させていった。あまり知られていないことだが、パワー界でサイクルトレーニングをまとめあげ提唱したのは三土手なのである。

時を同じくして、指導者としての手腕も発揮するようになっていた。怪我からの回復の兆しを見せた99年の日本選手権ではスクワット400kgという超大台の記録にも成功し、いよいよ世界獲りへの気運も高まってきた。

身体のケアの重要性をさらに認識し始めたこの頃からスポーツ整体「廣戸道場」に通うようになる。ここで廣戸総一氏と出会う。廣戸氏が論理づける身体の使い方、「レッシュ4スタンス理論」をパワーリフティングのそれに当てはめることで、更に出力をアップさせるフォーム作りと意識の仕方を会得していった。三土手は普段おぼろげながら感じていた個々の選手のフォームが違う理由や、怪我をしないための出力を出し方について、廣戸氏の理論を当てはめることでそれを明確なものにしていった。

そして2000年世界選手権。開催地は秋田。観客席には親戚一同も応援に駆けつけた。世界最強の猛者達が集う世界選手権。接戦になるかと思われたが,三土手に敵はいなかった。逆転のデッドリフトをしかける範囲まで迫れた選手もいなかった。悲願の世界選手権優勝の瞬間がおとずれた。普段はめったに感情を露にしない三土手も歓喜のを流していた。トータルは1トン。ベンチプレスでは当時の世界記録を塗り替えた。パワー系競技で日本人が重量級で優勝することは無理といわれていた常識を覆した歴史的な瞬間に誰もが酔いしれた。

 

この頃から、三土手はサインを求められたときには、必ずといっていいほど名前の隣に「No Limits!」という言葉を書き添えるようになった。「限界を定めてはいけないんだ。限界は心の中にある。」という意味がこめられているという。「No Limits」まさに三土手大介の信条そのものである。

2002年三土手はジムを立ち上げることとなる。どうせなら自分の一番好きな言葉を名前にしたい。ジム名は考えるまでもなく、もうすでに心中で決まっていた。「No Limits」三土手にこれ以外の言葉は見つからなかった。

彼は今まで誰もが無理と思う状況をことごとく覆してきた。2005年春には肘の遊離軟骨を除去する手術を行い、今後自己ベストまで記録が戻るのは当分時間がかかるだろうと周囲に思わせた。しかし、予想とはうらはらに同年11月の世界選手権で当時のIPF世界最高記録ベンチプレス350.5kgに成功してみせた。2006年の世界ベンチプレス選手権では、6年ぶりに125kg級へと階級を下げ、世界記録322.5kgを打ちたて、世界王者に返り咲いた。翌2007年の世界ベンチプレス選手権も難なく優勝し、連覇をなしとげている。

2008年3月には、世界的に有名なスポーツイベント「アーノルドスポーツフェスティバル」のベンチプレス大会に招待された。この大会では、パワーリフティングとベンチプレスの世界記録保持者のブライアン・サイダースと真っ向勝負を挑んだ結果、世界記録353.5kgを成功させて、サイダースの記録を破り、再び絶対重量での世界最高記録保持者となり、翌年の同大会でも優勝し2連覇達成。

2009年2月の全日本ベンチプレス選手権では、360kgに成功し、更にそれまでの絶対重量世界記録を更新した。

パワーリフティングの第一線で活躍するようになってから20年以上。選手寿命が短いといわれる重量級において、20年以上、コンスタントに全日本選手権で優勝し、更には10年以上に渡って世界選手権に出場し活躍し続けていた選手は、世界を見渡してみても、三土手大介しかいない。

彼は今もなお現役の選手であると同時に指導者である。自分のことだけでなく、少しでも多くの人が心の限界を打ち破ることのできる環境を整えるために今日も働いている。

おもな大会成績

1993年
110kg級 全日本選手権史上最年少優勝(20歳)
1994年
110kg級 世界ジュニア選手権優勝
1996年
125kg級 世界パワーリフティング選手権2位
1999年
125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2000年
125kg級 世界パワーリフティング選手権優勝
2000年
+125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2001年
ワールドゲームズ重量級優勝
2001年
+125kg級 世界パワーリフティング選手権3位
2001年
+125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2002年
+125kg級 世界パワーリフティング選手権3位
2002年
+125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2003年
+125kg級 世界パワーリフティング選手権3位
2003年
+125kg級 世界ベンチプレス選手権2位
2004年
+125kg級 世界ベンチプレス選手権3位
2005年
+125kg級 世界パワーリフティング選手権2位
2006年
125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2007年
125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2008年
アーノルドスポーツフェスティバル.PRO BENCHPRESS重量級優勝
2008年
+125kg級 世界ベンチプレス選手権3位
2008年
+125kg級 世界パワーリフティング選手権3位
2009年
アーノルドスポーツフェスティバル.PRO BENCHPRESS重量級優勝

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