No Limits代表 
三土手大介(みどてだいすけ)

1972年8月26日生まれ 神奈川県横浜市出身
125~125kg超級
 パワーリフティングという競技を知ったのは高校3年のとき。全日本高校パワーリフティング選手権というものがあることを知り、力試しで出場するも負けてしまったことからこの競技にのめり込んでいく。
 その後、東京都府中市のパワーリフティング専門ジム、「パワーハウス(旧)」に通い、本格的にパワーリフティングを始める。ここで頭角を現した三土手は1993年、仙台市で行われた全日本選手権110kg級で初優勝を飾る。弱冠20歳の史上最年少優勝だった。(この記録は未だに破られていない)
 それからは次々と日本最高記録を塗り替え、もはや絶対重量でかなう選手は日本には誰一人としていなくなってしまった。三土手が次に世界の頂点に標準を絞ったのはごく当然のことだった。世界大会にも積極的に参戦していった。 1996年の世界選手権では当時の世界チャンピオン、カ-ク・カルウォスキー(USA)に次いで2位という快挙を成し遂げる。いよいよ世界獲りに本格的に乗り出すこととなるのだが、このころから三土手の体に異変が目立つようになる。それは怪我だった。
 常のパワーリフターをはるかに凌ぐ重量を上げる三土手にとってそれは宿命というべきものだった。肩、肘、腰の痛みは日常茶飯事だった。椎間板ヘルニアには特に苦しめられた。MRI検査の結果、5個ある腰椎の椎間板が1個を残して全て潰れていた。結局97年、98年の世界選手権は欠場した。怪我を直すことを第一に考え、試行錯誤しながらオリジナルのサイクルトレーニングも確立させていった。時を同じくして、旧パワーハウスのジム経営を前オーナーから任され、指導者としての手腕も発揮するようになっていた。怪我からの回復の兆しを見せた99年の日本選手権ではスクワット400kgという超大台の記録にも成功し、いよいよ世界獲りへの気運も高まってきた。
 身体のケアの重要性をさらに認識し始めたこの頃から東京都武蔵野市吉祥寺にあるスポーツ整体「廣戸道場」に通うようになる。ここで老舗格闘技団体「パンクラス」の審判部長を務める廣戸総一氏と出会う。廣戸氏が論理づける身体の使い方をパワーリフティングのそれに当てはめることで、更に出力をアップさせるフォーム作りと意識の仕方を会得していった。三土手は普段おぼろげながら感じていた個々の選手のフォームが違う理由や、怪我をしないための出力を出し方について、廣戸氏の理論を当てはめることでそれを明確なものにしていった。
 そして2000年世界選手権。開催地は秋田。観客席には親戚一同も応援に駆けつけた。世界最強の猛者達が集う世界選手権。接戦になるかと思われたが,三土手に敵はいなかった。逆転のデッドリフトをしかける範囲まで迫れた選手もいなかった。悲願の世界選手権優勝の瞬間がおとずれた。普段はめったに感情を露にしない三土手も歓喜の涙を流していた。トータルは1トン。ベンチプレスでは当時の世界記録を塗り替えた。パワー系競技で日本人が重量級で優勝することは無理といわれていた常識を覆した歴史的な瞬間に誰もが酔いしれた
 
 この頃から、三土手はサインを求められたときには、必ずといっていいほど名前の隣に「No Limits!」という言葉を書き添えるようになった。「限界を定めてはいけないんだ。限界は心の中にある。」という意味がこめられているという。「No Limits」まさに三土手大介の信条そのものである。旧パワーハウスの経営は1998年から行っており、ジムをもっと拡大させたいということから、前オーナーに移転の相談をした。三土手は「パワーハウス」として移転を考えていたが、前オーナーから「どうせなら名前を変えたら?」という一言を言われる。三土手は一瞬戸惑った、名前を変えれば自分が世界チャンピオンにまで育ったジムが無くなる、しかし、どうせなら自分の一番好きな言葉を名前にしたい。三土手は迷った挙句決断した。「新しいジム名でいこう」と。新しいジム名は考えるまでもなく、もうすでに心中で決まっていた。「No Limits」三土手にこれ以外の言葉は見つからなかった。
 彼は今まで誰もが無理と思う状況をことごとく覆してきた。2005年春には肘の遊離軟骨を除去する手術を行い、今後自己ベストまで記録が戻るのは当分時間がかかるだろうと周囲に思わせた。しかし、予想とはうらはらに同年11月の世界選手権で当時のIPF世界最高記録ベンチプレス350.5kgに成功してみせた。2006年の世界ベンチプレス選手権では、6年ぶりに125kg級へと階級を下げ、世界記録322.5kgを打ちたて、世界王者に返り咲いた。翌2007年の世界ベンチプレス選手権も難なく優勝し、連覇をなしとげている。
 
 2008年3月には、世界的に有名なスポーツイベント「アーノルドスポーツフェスティバル」のベンチプレス大会に招待された。この大会では、パワーリフティングとベンチプレスの世界記録保持者のブライアン・サイダースと真っ向勝負を挑んだ結果、世界記録353.5kgを成功させて、サイダースの記録を破り、再び絶対重量での世界最高記録保持者となった。

 パワーリフティングの第一線で活躍するようになってから10余年。選手寿命が短いといわれる重量級において、10年以上、コンスタントに世界選手権に出場し続けている選手は、世界を見渡してみても、三土手大介しかいない。

 彼は選手であると同時に指導者である。自分のことだけでなく、少しでも多くの人が心の限界を打ち破ることのできる環境を整えるために今日も働いている。
2000年世界パワーリフティング選手権125kg級優勝
日本人として初の重量級世界王者になった
2008年アーノルドスポーツフェスティバルにて
125kg超級世界記録353.5kg成功直後の様子
戻る
全日本選手権優勝回数14回
全日本ベンチプレス選手権優勝12回

      
ベスト記録 
     スクワット435kg
     ベンチプレス353.5kg
     デッドリフト320kg
     トータル1060kg

ベンチプレス125kg級世界記録322.5kg
ベンチプレス125kg超級世界記録353.5kg
(IPF絶対重量世界最高記録)

スクワット、ベンチプレス、トータル
+125kg級日本記録保持者
             おもな大会成績
1993年 110kg級 全日本選手権史上最年少優勝(20歳)
1994年 110kg級 世界ジュニア選手権優勝
1996年 125kg級 世界パワーリフティング選手権2位
1999年 125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2000年 125kg級 世界パワーリフティング選手権優勝
2000年 +125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2001年 ワールドゲームズ重量級優勝
2001年 +125kg級 世界パワーリフティング選手権3位
2001年 +125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2002年 +125kg級 世界パワーリフティング選
手権3位
2002年 +125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2003年 +125kg級 世界パワーリフティング選手権3位
2003年 +125kg級 世界ベンチプレス選手権2位
2004年 +125kg級 世界ベンチプレス選手権3位
2005年 +125kg級 世界パワーリフティング選手権2位
2006年 125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2007年 125kg級 世界ベンチプレス選手権優勝
2008年 アーノルドスポーツフェスティバル
          
PRO BENCHPRESS重量級優勝
三土手大介が打ち破ってきた限界の数々

★スクワットで日本人初の400Kgオーバー
★ベンチプレス日本人初の300Kgオーバー
★トータル日本人初の1トンオーバー
★日本人初重量級パワーリフティング世界チャンピオン
★パワーリフティング、ベンチプレス、ワールドゲームズ
 三つの世界タイトル
世界ベンチプレス選手権では6度の優勝
(1999年~2002年、2006年、2007年)